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今日

2020|パフォーマンス

Let's Call it a Day

10月10日から11月1日までの22日間、横浜市民ギャラリーあざみ野で行ったパフォーマンス。

展示会場内には会期日数と同数(22枚)の大きな白い板が、奥から手前に向かって重なるように置かれている。

開館時間のはじめから終わりまでそのうちの一枚の板の上で、歩き回ったり、なにかを書き留めたり、寝たり、喋ったり、踊ったりしながら過ごした。タップシューズを履いていたため、板の上を動き回るとカツカツと硬質な音が展示室内に響いた。その靴底が擦れてできた軌跡や、グラファイト(鉛)で書き込まれた文字など、白い板の上には一日分のさまざまな痕跡が残った。

一日の終わりには板から降り、これまでその上で過ごした板の片側を掴み、壁のように持ち上げて裏返しに倒す。倒れる時、音と風が起きる。

会場手前には、これまで過ぎた会期の日数分だけ、すでに倒された板が重なっている。

会場の奥には、まだ残っている会期の日数分だけ、まだ真っ白な板が横たわっている。

その間に「今日」があって、そこでは、歩き回ったり、なにかを書き留めたり、寝たり、喋ったり、踊ったりしながら過ごしている。


この展示には特設サイトがあり、そこでは横スクロールで伸びていく一文を会期中に書いていました。

一日を終えるごとに、横へ横へと継ぎ足すように続く文章を書き足していました。

https://artazamino.jp/archived/special/contemporary-2020/ura/index.html

パフォーマンスとこの文章との関係は今もなお捉え難く、「コンセプト文」のようにパフォーマンスをするために書いたわけでもなく、「日記」のようにパフォーマンスをしたから書いたわけでもなく、反対に、この文章を書くためにパフォーマンスをしたのでもありません。そういった因果関係はなかったと記憶しています。

ただ、この2つはとても強く関連していて、しいて言い表すならば、まだ何もはじまっていない時点において「これを書き得るから、このパフォーマンスをし得る」といったような、不思議な形で二つは不可分なものとして出発しました。そういった〈予期〉というか〈希望〉のようなものが胸の内に湧くからこそ、何かをするんだと、振り返って思いました。

展示のドキュメント映像

インタビュー映像

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